いつまでも着たきり雀と思うなよ

 今まで、いまいち躊躇してたんだけど、勢いで例の本を買ってみた。

 躊躇していた理由ってのは、やっぱり「おまえ、何成功者ヅラしてメディアに出てんだよ!」みたいなのがあって、こちら側の住民だった人間がふとあっち側で偉そうなツラをしているのが嫌だったという、子供じみた理由。

 伊集院もラジオで言っていたのだけれど、やっぱりデブから痩せた人間はデブに対して必要以上に上から見る視線を感じるワケですよ。「今までの自分はデブだったから、こんなにヒドイことがあった云々、そして痩せたらこんなにいいことがあった」みたいな。



 いや、例の本ってのは、岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』なんですけどね。



 で、確かにその「デブだから悪かったというのは、心の問題」というのも分かるし、俺もそう思ってたんだけど、実際本を読んでみると、現状が見た目至上主義だということには納得してしまうし、自分自身も今の自分の現状を考えて「やっぱり、言葉に力があるような人が、カッコよかったり、美人だとすると、言葉はより通じやすくなるよなぁ」なんてことを考えてきたこともあって。

 で最終的に、伊集院の言葉が「たまたまデブでも幸せだった伊集院の傲慢」に見えてきてしまって、自分の中では「まぁ、この点では斗司夫の勝ちだな」と、思ってしまった次第。そうだよな、完全にオタクとしてこれまでを過ごしてきた岡田と、奥さんが元アイドルの伊集院では、伊集院の方が勝ち組だもんな。その点で俺は岡田に肩入れすることにするよ。伊集院、スマン。



 で、主題として、ダイエットの部分が注目されがちな『いつまでもデブと思うなよ』だけれども、俺が感心するのは「デブは絶対的に損だ!」という、伊集院が批判した部分の割り切り方だと思う。

 正しい、正しくないじゃなくて、「デブは損」。「見た目が評価されて初めて、中身を公開する機会を得る」みたいな話ですよ。特に恋愛に関しては否応なく直面する問題で、恋愛に関してはきわめて幸せな伊集院には、そういう感覚が分からないのだろうなと。

 で、その辺を理解することが、レコーディングダイエットの成功につながると。



 たとえば、テレビで「ワーキングプア特集」とかいうことをやるときに、俺が気になるのは、ワーキングプアの人たちって、やっぱり見た目がワーキングプアっぽいんですよ。服装が特に。でもって、撮影側も「いかにもワーキングプアっぽい映像」を撮るわけで、すると「こういう人たち=ワーキングプア」っていう価値観が固定化してしまうんですよね。

 それは差別的な白人が「有色人種は有色だから、差別をしてもいい」ということを自然に思うように、「ワーキングプアは、ワーキングプアっぽいから、ワーキングプアでいい」ということが、前提になってしまう。そうした前提を支える要素として、俗流若者論なんかがあって、今の社会は若者の実態に対して、差別的に接しやすい土壌がある。

 それに対抗するためには、やっぱり「見た目がワーキングプアっぽくないのに、ワーキングプア」っていう人が出てくる必要がある気がする。つか逆か、「ワーキングプアなのに、見た目がワーキングプアっぽくない人」。

 たとえばデモなんかで服装をみんなスーツにするとか、見た目の部分で、一般の人たちが「私たちと同じ」と感じる記号を用意してあげて初めて、話が彼らに通じるのではないかと。



 で、それを人にやらせるのもアレだから、まずは自分が痩せたいと思うし、それなりにおシャレになりたいと思ってます。今まで、パソコンなどの仕事のための機会にはひとまず必要なだけ、お金をかけたので、今後はおシャレのためにお金を使おうかなと考えています。

 とりあえず、なんの躊躇もなく丸井のメンズ館あたりに行けることを目標に、がんばりたいと思います。