赤木智弘的ニコニコオススメ動画

そいえば、少し前からはてなダイアリーニコニコ動画をコメント付きで貼れるようになっていて、しかもアカウント無しでもみられるようになっているので、お気に入りの動画をいくつか貼ってみようか。


ぶっちぎりP作品

鏡音リン「電車でGO!!」(戸川純)鉄道シミュゲーではありません。
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鏡音レン&KAITO「2D OR NOT 2D」(P-MODEL) 原曲を超えている感があるな。
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鏡音リン「美術館で会った人だろ?」(P-MODEL)ニコ動内での平沢人気は異常。
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怒首領蜂P作品

アイマスMAD「MBF remix-X 的ななにか」ドゥームと閣下がなじみ過ぎる作品。ドゥームですよ、ドゥーム。
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アイマスMAD「一応全員いるっぽい 社歌斉唱」リング赤いよ。
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一応元ネタも貼っておく。

ケツイ 綺麗なドゥームさま」俺?できるわけないじゃんこんなの。つかここまでいけないよ。
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怒首領蜂大往生 ブラックレーベル 緋蜂」上に同じく無理です。
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ダムP作品

アイマスMAD「トップをねらえ!改」まさかの名シーンwww
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アイマスMAD「セーリング・フライ」ダムPは趣味が特殊すぎる
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アイマスMAD「春香 さよならを教えてコメント職人が特殊すぎる
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特定のP以外のもの

テトリス最強動画」『若者を見殺しにする国』執筆中によく見ていました。気分転換というか、頭がリセットされるというか。
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「キング・ユスネビッチ1stアルバム「Teenage Dance Party」全曲紹介」これ、どこかのサイトで短いのがあって、ずっと長いの聞きたかったんだけど、ここにあった。これは本当にヒドイ。
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 あまり貼り過ぎてもしょうがないので、とりあえずこのくらいで。
 ほかには戸川純関連やPSY・S関連をよくみています。

『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』城繁幸

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』読了。

 私の名前も登場している。

 『若者はなぜ3年で辞めるのか?』で展開した「年功序列から職務給へ」という賃金体形転換の必要性を、昭和的価値観をひとつひとつ検証していくという手法で、より明確に主張している。

 一見過激で無軌道なネオリベラリズムを無批判に主張しているように見えるけれども、やはり論理的に考える限り、城の考え方は、昭和的価値観によってガチガチに固定化された就業利権を流動化させるために、最も有用な考えの1つだろう。



 ここからすっごいだらだらと。



・経営者報酬がむやみに上がっている指摘に対して、城は「メーンバンク制から金融市場を中心とした直接金融に移行する株主代表訴訟リスクが高まった結果」と指摘している。

 これは小児科医や麻酔科医が激減していることと、まったく同じ。ちょっと失敗すれば即訴訟で、報酬とリスクのバランスがあわなくなってしまっている医者に対して、自分で賃金体系を決められることから、訴訟に堪えうる賃金体系を無理やりつくっている経営陣ということか。

 するとモンスターペアレンツなどを始めとする「自分たちの身の回りに関する、過剰な権利意識」は、株式を過剰に権利視する、現在金融の病理と一緒か。そうだよな、ちょっと利益が下がったらすぐに経営陣の更迭と自社社員の送り込みを求めたりするもんな。モンスターペアレンツハゲタカファンド。しぶしぶ損切りするデイトレーダーはまだおとなしいほうか。



・バブルの後始末を、当のバブルを崩壊させた世代が負わなくて住んだのは、賃金に対する下方硬直性(一度上がったら、なかなか下がらない)のおかげ。既存の労組はそれを守ろうと必死になっているが、そのために犠牲になったのは、バブル崩壊以降に社会にでることであった若者である。



・昭和的価値観からの脱却が、成功例ばかりなのが気になる。果たして、昭和的価値観を脱して高収入を得た人たちが、今度は搾取側(昭和的価値観への復古欲)とならないという保証はあるのだろうか?



・結局、城の主張による流動は、既得権益層である安定労働層の賃金を下げ、その一方で貧困労働層に上昇チャンスをあたえ、賃金を是正かすることである。このあたりは私の主張と同じである。

 しかし限られたパイのなかで、労働市場を流動化させたら、全体が必要量の賃金を得られないのではないかという疑問が残る。

 もっとも、それはそれで「にっちもさっちも行かない状態」が早く訪れて、そこで大鉈が振るわれる時期が早まるという点で、悪いことではない。そしてその状態(みんなが等しく貧困になる=貧困者をマジョリティーに)を早く産もうというのが「希望は戦争」の論旨の1つでもあるのだが。



・あとがきで「本来時給3,000円の人間を1,000円でこきつかうのは悪だが、時給1,000円分の仕事しかしない人間が3,000円もらう事もやはり悪なのだ」と論じているが、その「本来と現実」の時給の区分けは、それほど明白なものなのか?

 これは「職務給」に対する根本的な疑念なのだけれども、



 1、スキルによって時給を決定するという方法では、就職というスキル教育を受ける機会を失ったロストジェネレーションに不利ではないのか?



 2、スキルの習得は必要ではないけれども、社会的に必要な仕事をしている人間、それこそコンビニなどのバイトや、工場での組立など、今のワーキングプアが就いている仕事をしている人の賃金を、どう評価するのか?



 3、スキルは同等であっても、収入に差がつかざるを得ない場合があるのではないか?(接客のうまい宝石商と、接客のうまい八百屋では、当然前者の方が収入が多いであろう)



 4、結局のところ、正社員として雇い入れられた者は、正社員としての教育を受けて時給3,000円の仕事ができるようになり、非正規社員としてしか雇い入れられない者は非正規社員としての教育しか受けられずに、時給1,000円の仕事しかできるようにさせてもらえないのではないか。つまり「本来と現実」は結局のところ教育差別により過不足なく収束しているのではないか?



 私は「年功序列から職務給へ」という考え方は、私が『若者を見殺しにする国』で論じた、雇用柔軟型から、専門能力活用型への安直な飛躍ではないかという疑念を持っている。

 専門能力活用型の人材として活躍するためのスキルは、正社員、すなわち長期蓄積能力活用型人材としての教育を通してしか手に入れられないのだから、雇用柔軟型(フリーター)から一足飛びに専門能力活用型(プロフェッショナル)に移行するのは、不可能であるか大きな負担(ギャンブル)を要求する事になる。

 基本的なスキルアップのルートは、



 「雇用柔軟型(フリーター)」 →雇用→ 「長期蓄積能力活用型人材(正社員)」 →スピンアウト→ 「専門能力活用型(プロフェッショナル)」



 であり、実際この本に書かれている「昭和的価値観を脱した人たち」も、ほぼもれなくこのスキルアップのルートをたどっている。

 ならば、「年功序列から職務給」に移行するために、



 1、企業がフリーターを雇い入れること。

 2、正社員のままでは生活はできても、贅沢ができない賃金体系をもって、スピンアウトを促進すること。



 この2点を促進することが絶対だと、私は考えている。

 具体的には1はそれだけでいろいろと考察しなければならないので飛ばすとして、2については正社員の給料をせいぜい年500万ぐらいにしてしまうとか。

いつまでも着たきり雀と思うなよ

 今まで、いまいち躊躇してたんだけど、勢いで例の本を買ってみた。

 躊躇していた理由ってのは、やっぱり「おまえ、何成功者ヅラしてメディアに出てんだよ!」みたいなのがあって、こちら側の住民だった人間がふとあっち側で偉そうなツラをしているのが嫌だったという、子供じみた理由。

 伊集院もラジオで言っていたのだけれど、やっぱりデブから痩せた人間はデブに対して必要以上に上から見る視線を感じるワケですよ。「今までの自分はデブだったから、こんなにヒドイことがあった云々、そして痩せたらこんなにいいことがあった」みたいな。



 いや、例の本ってのは、岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』なんですけどね。



 で、確かにその「デブだから悪かったというのは、心の問題」というのも分かるし、俺もそう思ってたんだけど、実際本を読んでみると、現状が見た目至上主義だということには納得してしまうし、自分自身も今の自分の現状を考えて「やっぱり、言葉に力があるような人が、カッコよかったり、美人だとすると、言葉はより通じやすくなるよなぁ」なんてことを考えてきたこともあって。

 で最終的に、伊集院の言葉が「たまたまデブでも幸せだった伊集院の傲慢」に見えてきてしまって、自分の中では「まぁ、この点では斗司夫の勝ちだな」と、思ってしまった次第。そうだよな、完全にオタクとしてこれまでを過ごしてきた岡田と、奥さんが元アイドルの伊集院では、伊集院の方が勝ち組だもんな。その点で俺は岡田に肩入れすることにするよ。伊集院、スマン。



 で、主題として、ダイエットの部分が注目されがちな『いつまでもデブと思うなよ』だけれども、俺が感心するのは「デブは絶対的に損だ!」という、伊集院が批判した部分の割り切り方だと思う。

 正しい、正しくないじゃなくて、「デブは損」。「見た目が評価されて初めて、中身を公開する機会を得る」みたいな話ですよ。特に恋愛に関しては否応なく直面する問題で、恋愛に関してはきわめて幸せな伊集院には、そういう感覚が分からないのだろうなと。

 で、その辺を理解することが、レコーディングダイエットの成功につながると。



 たとえば、テレビで「ワーキングプア特集」とかいうことをやるときに、俺が気になるのは、ワーキングプアの人たちって、やっぱり見た目がワーキングプアっぽいんですよ。服装が特に。でもって、撮影側も「いかにもワーキングプアっぽい映像」を撮るわけで、すると「こういう人たち=ワーキングプア」っていう価値観が固定化してしまうんですよね。

 それは差別的な白人が「有色人種は有色だから、差別をしてもいい」ということを自然に思うように、「ワーキングプアは、ワーキングプアっぽいから、ワーキングプアでいい」ということが、前提になってしまう。そうした前提を支える要素として、俗流若者論なんかがあって、今の社会は若者の実態に対して、差別的に接しやすい土壌がある。

 それに対抗するためには、やっぱり「見た目がワーキングプアっぽくないのに、ワーキングプア」っていう人が出てくる必要がある気がする。つか逆か、「ワーキングプアなのに、見た目がワーキングプアっぽくない人」。

 たとえばデモなんかで服装をみんなスーツにするとか、見た目の部分で、一般の人たちが「私たちと同じ」と感じる記号を用意してあげて初めて、話が彼らに通じるのではないかと。



 で、それを人にやらせるのもアレだから、まずは自分が痩せたいと思うし、それなりにおシャレになりたいと思ってます。今まで、パソコンなどの仕事のための機会にはひとまず必要なだけ、お金をかけたので、今後はおシャレのためにお金を使おうかなと考えています。

 とりあえず、なんの躊躇もなく丸井のメンズ館あたりに行けることを目標に、がんばりたいと思います。

Macbook air

 本当に悲惨な貧困者を踏み台にして安定労働層となった私(どんな妄想だよ(苦笑))が、新たにmacbookを購入しましたよ。

 長年OS9を使い続けてた自分にとって、OS10.5になってようやくOSX環境に移行できたことになりますね。

 で、購入したのが1月の上旬で、1月15日にmacbook Airが発表されました。べ、別にうらやましくなんかないんだからねっ!…………OTL

 いいもん、どうせ向こうはCPUも遅いし、HDDも遅いし、メモリもオンボードで2Gでしょ。俺のmacbookはメモリ4G積んでるもん。それに10万も差額があれば、その差額でいろいろできるし。

 でも、基本的には原稿を書いたり、ネットで資料を探せれば十分だから、スペックとかはairで十分……。



 というか、スペック面からairを批判している人も多いけど、すでにパソコンが十分に安くなって1人1台から、1人で複数台を使う時代に、全部が全部フルスペックである必要はどこにもないからなぁ。ならば、ノートに絶対必要な要素は薄さと軽さ。そして安心して操作できるフルキーボードだということを考えれば、airの割り切り方は大正解だと思いますよ。

 あと、バッテリー交換が自力できないことに対する不安があるようですが、これは自分で10.5を使っていて実感するのですが、シャットダウン状態からの起動がすごい速いのですよ。測ってないけど、4,50秒ぐらいでしょうか。

 ノートパソコンで起動が速いということは、パソコンをスリープ状態にする必要がなく、バッテリーの節約になるということです。

 もちろん、作業状態の保持を考えると、スリープの方がいい場面もたくさんありますが、テキストエディタと、ブラウザぐらいなら立ち上げ直しても苦ではありません。

 つか、バッテリーを持ち歩くんなら、軽さとかもう関係ないし。



 というわけで、個人的にはairは最高だと思いますが、macbookを買ったばかりなので、買えません。



 あ、そうそう、せっかくなのでアフォリエイトのためのリンクを張っときますね。買える人はここから買ってください。macユーザーであれば、間違いなく幸せになれるはず。

Apple MacBook Air 13.3/1.6GHz Core 2 Duo/2G/80G/micro-DVI/BT MB003J/A

『のはなし』 伊集院光

のはなし

のはなし

さて、私の『若者を見殺しにする国』がついに本日発売ということで、「カウントダウン0」でございます。

 というわけで、今日は伊集院光の単行本『のはなし』のことを書きたいと思います。

 って、えー、なんで他人の本の話なんだと文句のある方もいらっしゃいましょうが、自分の本の話はおいおいということで。



 まず「まえがき」を読んで驚くのが、この「のはなし」の元々は、tu-kaの契約者向けメールマガジンとして配信された内容から抜き出して来たものなのですが、このメールマガジンが「週3回、400字以上」という恐るべきハイペースで5年間も配信されていたということ。

 私なんか、週1で1,000〜1,500字というライブドアニュースの原稿ですら汲々としているというのに、すごいなと。

 「でも、一週間ごとの文字数としては、週3×400で1,200字だから、大してかわらないんじゃない?」と思う方もいるかも知れませんが、1つのテーマで週1回1,200字書くのと、3つのテーマで週3回400字以上かくのでは、後者のほうがはるかにキツいのです。伊集院も前書きで書いてますが、結局400字以上ということで、なんだかんだで毎回1,000字以上は書いていたそうです。

 実際、本文を一読してわかることですが、この本に掲載されている全ての文章には、ちゃんと「起承転結」があるのです。こうした文章を書くためには、当然400字じゃ足りません。私は以前、JCの読書会で毎回800字前後という文章を書いていましたが、起承転結を書くためには最低そのくらいの文字数は必要なのです。

 しかも、起承転を経た最後の、肝心の「結」の部分が、毎回ちゃんとオチている。

 普段の生活の中で、こうした起承転結を書き記すことができるってのは、本当にすごいことだと思います。

 もちろん、伊集院がタレントという場所にいるから、普通の人よりもおもしろおかしい環境にいるのは当然ですが、単純にそれだけではなくて、何気ない生活の中でもメリハリつけて楽しもうという感覚が、普通の人より強いのかなとも思いますね。

 文章的には決して派手なところはなく落ち着いてて、しかしそれでいて、コラムとしては面白い。自分にとっては「文筆の教科書」になるような本だと思いました。