『スタープレックス』ロバート・J・ソウヤー

スタープレックス (ハヤカワ文庫SF)

 SFというのは……いや、少なくとも私の接してきた、私の好きなSF群というのは、その高度に発達した科学を文字の上に全開にしながら、その内実は人間のちっぽけな実存の意味を解き明かそうとしている作品群である。
 宇宙の限りない広さや深さは、その一方で人間の有限さを認識させ、新しい種族との遭遇は、人間の固有性をきわだたせる。
 現代を部隊にした小説というのは、限られた箱庭世界の中で、恋愛や人間関係などの別の箱庭を通して、濃密な個人の内実を暴きたてるものだが、際限のない宇宙を部隊にする類のSFは、もっと大きな箱庭で「人間とは?」と、人間の内実を暴きたてる。私は後者の方が好きだ。

 そして、この作品も私の好きなその他のSF群と同じように、「キース」という、髪の毛が薄くなったことが悩みで、優秀な妻を持ちながら、魅惑的な部下の女性に対して目が行ってしまうような、極々平均的な中年おっさん(とはいえ、千人規模の宇宙船の船長なのだから、それなりに偉い)の視点を通して、人間の内実を暴きたてようとする。
 いや、この作品の場合はさらに大きく、「生命体とは?」と尋ねてくる。この作品では宇宙すら、両手の中に発生する小さな箱庭に過ぎない。
 そして、我々がつい無意識のうちに落ち込んでしまう、人間を万物の頂点とする考え方。
 宗教家は神だの仏(ついでに天皇も入れておこうか)だのという創造物を用いて自らの慢心を必死に否定するが、結局のところ人間にとって都合のいい「御上」に過ぎないそれらの存在は、人間への従属物でしかない。
 そうした人間の慢心を、著者のソウヤーは、神ですらない現実的で超越的な存在を持ち込んで、打ち砕こうとしているのかもしれない。

 「神的」とも言える不死の人間と、「まさしく神、創造主」である物質。
 かつての「植民」では相手が同じ人間であったがために、植民側は被植民側を一方的に支配した。
 最近はかつて被植民であった人間たちも、同等な立場だという建前が流通している。本心はしらないけど。そのあたりがこの本だと、人間と同等の立場ということになっている、魅力的な異種族(イルカが人間と同レベルの知性を持った存在として登場する、いかにも北米的なネイチャー感は鼻につくのだが)の存在がその状態を示している。
 しかし、「同等な植民」をしようとした相手がもしも「神」だったら、どうなるのだろう? そうした問いかけを本書は投げかけて、投げっぱなしにしている。(誉め言葉ですよ)

 つか、カトリックの信者は、SFをどういうふうに読むんだろう? 創造主が神じゃないと困るよねぇ。読まないかな(笑)