ボランティアは無償の奉仕者か?

 ぶっちゃけ、イラク拉致被害者に対して「自己責任」があれだけ連呼されたにもかかわらず、何故ライブドア被害者は「自己責任」といわれないのかが、サッパリ分かりません。

 かといって、別にここで書くような話題でもないかなと気にしないでいたら、「悪徳商法?マニアックス」さんが「ライブドア株主被害の被害者説明会に行ってきました」という記事を掲載していました。

 必要な部分を引用しようとすると、全部引用しなきゃいけないので引用は控えますが、ハッキリいって唖然というかなんというか……。



 私は株価下落の被害などというのは、ハイリスクハイリターンという言葉に含まれるもので、「株価が下がったから我々は被害者だ」などという考え方には理解を示しません。例えそれが経営者の不正によるものであったとしてもです。

 しょせん株などは余ったお金でやるべきもので、そのことに対する被害を保証するなら、もっと保証すべきものが他にあるだろうと考えるからです。

 しかし、それを解決しようと弁護団を組んだ弁護士の方々については、まぁ別に批難することもありません。「勝手にやれば?」という感想です。



 私が悪徳商法?マニアックスの記事に興味をもったのは、この部分です。


ライブドア被害者の会 主催者の質問

消費者問題の弁護士がボランティア的に関わっていると言っていますが、もし1000億円分の被害者が集まれば、着手金だけで25億、弁護士一人当たり5000万円の収入です。成功報酬は、100億円にもなります。濡れ手に粟で、儲けを目的に、やってるんじゃないですか?

 なんで、ボランティア的に関わっていることが、儲けを目的にしていることに対する批難に繋がるのでしょうか?



 この記事で最初にイラク人質の件をあげていますが、そのうち、もっともバッシングを受けた人は、ボランティア目的でイラクに行っていたわけです。それに対して「ボランティアなんか国内でやれ!!」などの、意味不明な批難が沸き上がりました。

 私はこうした批難と、この「ライブドア被害者の会 主催者」の言っていることは、まったく同じ性質のものだと考えるのです。



 そもそも、弁護士が最初っから「ボランティア」的なことを言い出さずに、ビジネスライクに弁護団を組んだとしたら、この質問は有効でしょうか? もちろん質問してもいいのですが、普通は「弁護士さんも仕事だから」ということで、納得してしまうのだと思います。

 しかし、「ボランティア的」という言葉を出した途端に「ならば、報酬を得るのは不当だ」という話になってしまう。こうした歪んだボランティア感は、やはり「ボランティア=無償奉仕」という、日本語の問題から来ているのだと考えます。

 また、ボランティアという言葉はどうしても「個人の責任」という意味合いが強く、「社会責任に応じたボランティア」というありようは、ほとんど日本人には意識できていないのではないでしょうか?



 高度経済成長の日本では、社会というのはすなわち会社のことでしたから、社会に対する責任は、個人の所属する会社を通して、対応してきた(という事にされている)わけです。

 なので、会社の下では個人という存在は大変無責任な存在になります。それは会社員だけの事ではなくて、日本に属する全ての「個人」のランクが「会社より劣る」ものとされるのです。

 そんなわけで、ボランティアはビジネスより「下」の存在に貶められます。すごく古くさい考え方ですが、今だにそう考える人が多いのが現状です。



 今日はちょっと忙しいので、細かくは書きませんが、こんな感じです。