団塊は苦労してへんやろ

三浦展の『ファスト風土化する日本(以下 ファスト風土)』をゆるゆると読み終わった?

 で、詳しくはあとでまとめて書きますが、単純に感想を記すと「あれ? まともなことを書いている」。

 確かに最初の方は『下流社会』にも見られるようなトンチンカンな議論(時空まで乗り越えて(笑))をくり返しているワケですが、最後の方になると、大店法を廃止して郊外の「田園都市化」を押し進めた、すなわち、巨大ショッピングモールなどを優遇し、商店街を中心とした地域コミュニティーをを破壊した国の政策に対する批判をしているんですね。これは『下流社会』に見られるような安直な若者批判とは、全く主旨が異なっています。

 特に、『下流社会』とは真逆のことを記している部分があるので、比較してみましょう。

下流社会 p.39』


 思えばトヨタクラウンの発売は1955年である。55年体制のはじまりとともにクラウンは登場し、その後、カローラ、コロナ、そしていつかはクラウンという典型的な階層上昇形消費モデルを提示することでトヨタはフルラインナップ型の大企業へと成長した。まさに一億総中流化時代を象徴するのがクラウンなのだ。

 と、高度経済成長期の象徴でもある日本型のモータリゼーションを讃美し、「階層上昇形消費があったからこそ、日本は豊かであったのだ」という論陣を張っている。

ファスト風土 p.186-187』


 高度経済成長期以前の日本は基本的に農業社会であり、多くの国民は「共産共同体」としての地域社会(共同体)のなかに埋めこまれていた。

(略)

 しかし、高度経済成長期、急激な勢いで日本人は、農民や自営業者などから雇用者や勤め人へ変わった。それに伴って家族は核家族化し、家族が一緒に働くことはなくなり、(略)つまり家族は根なし草になったのだ。

(略)

 つらい仕事も、単調な家事も、つまらない勉強も、より多くのものを消費し、より高価な耐久財を購入できる喜びによって相殺された。(略)すなわち、家族は「より豊かな生活」という、消費あるいは私有の目標を共有することで一体感を味わうことができたのである。

(略)

 さらに家族は会社および会社が所属する企業グループがつくりだす製品を買うことによって会社に貢献した。三菱グループの社員は、三菱銀行に預金し、三菱地所の家を買い、三菱自動車に乗り、三菱電機の家電を買って、キリンビールを飲んだわけである。

(略)

 しかし、それは「私(ウチ)」の会社と「私(ウチ)」の家族の中に閉じこもるという意味で、公共性を喪失した「私生活主義」「私有主義」であり、「市民」ならぬ「私民」主義であった。

 2ページを無理にまとめたので略が多くて申し訳ないが、『ファスト風土』では『下流社会』で見られる、過剰ともいえる高度経済成長に対する翼賛がないどころか、それを批判的に捉えている。

 特に「企業グループ」に対する批判は、『下流社会』においては「いつかはクラウン」という考え方を「階層上昇形消費」と考えているのに対して、『ファスト風土』では「私(ウチ)の中に閉じこもる」と、否定的に考えている。

(単に三浦展トヨタグループが好きで、三菱グループが嫌いなだけなのかもしれない。普通の論者に対してなら非常に失礼なこの考え方も、「パルコとジャスコ」という例があるだけに、そう疑わざるをえない)

 そして、さらにここから「コミュニティ」の重要性という点でこのような例を挙げている。



ファスト風土 p.189』


 では、「消費」や「私有」という基礎のうえに成り立つ新しい原理はなんなのか? 結論からいえば、それは、「関係」(コミュニケーション)と「関与」(コミットメント)の原理であり、新しい「コミュニティ」の原理であろう。

 そういうと大げさだが、時代の予兆というのは些細な部分から表われてくるものだ。たとえば、近年、若者のあいだで衣服や雑貨の手作りが流行しつづけている。古着をリフォームしたり、他の布とあわせてリメイクしたり、ビーズでアクセサリーをつくったりし、それをフリマ(フリーマーケット)で売ったりする。それは、ただ物を消費して所有するだけではなく、自分が物に対して自由に関与することに喜びを見いだし、かつ関与することで自分と他者との関係を産み出し、さらには他者から承認を得ようとする欲求の表われだといえる。

 一読してして明らか。ここで述べられている若者像は明らかに三浦展いうところの「かまやつ系」だし、三浦展が執拗に批判する「自分らしさを求める若者達」である。それをこの時点では「新しい原理の一例」として讃美している。



 この『ファスト風土』が出版されたのが2004年の9月、『「かまやつ女」の時代(以下 かまやつ)』が2005年の3月、『下流社会』が2005年の9月。『かまやつ』と『下流社会』での姿勢は一貫していることから、『ファスト風土』から『かまやつ』までのせいぜい半年の間に、いったい三浦展にどんな心境の変化があったのか。私が気になるのはそこである。

テレビ朝日ゼロトレランス翼賛

 爆笑問題が出ている番組で、ゼロトレランスを最大翼賛していた。

 VTR内で、ゼロトレランス教育を「子供の暴徒化に効果のある教育」と紹介、その後スタジオで教師やタレントたちが賛成反対に別れてエセディベートをしていたものの、VTRで「効果のあるもの」と紹介していたのだから、その時点で大嘘。

 ゼロトレランスなどという「教師=大人は絶対に正しい」という尊大な理想論でしかない非現実的な方法は、教育の問題を潜伏させ、社会を大きく歪ませるものに過ぎない。

しかし、なんなのでしょうね。あの「団塊世代は苦労してきたんだ」という言い分になんら疑問を挟まない現代日本の情景ってのは。

 掲示板の方にも「団塊はおしゃれもできなかった」などと書いていた人がいましたが、VANの存在あたりを下地にして、団塊の世代が若者になるあたりにちょうど現在へと繋がるファッションの隆盛があったことは、ファッションというものに全く興味のない私でも、ふつうに知っている事実です。

 もちろん、それが都心の一部の人たちのものであることも知っていますが、それは昔も今も同じことです。おしゃれな若者もいますが、おしゃれではない若者だっていくらでもいます。

 掲示板で「団塊はおしゃれが……」と書いた人が「ファッションは生活余剰資金で為されるもの」とも書いていましたが、余剰というのはイコール「豊かさ」のことです。ならば、彼らが若者の頃にはすでに社会はファッションを生み出すほど、十分に豊かだったということです。

 しかし、世間一般で想像されているであろう団塊のイメージは、どうも昭和ヒトケタ世代のそれです。

 「若者」という言葉で、団塊ジュニア(35歳ぐらい)から中学生(14歳ぐらい)までもが一括りにされるのですから、上も昭和ヒトケタと団塊が一括りにされてしまうのも道理なのかも。

 しかし、団塊世代は確実にそれを利用して若者の罵倒をしているのですから、我々はそうした世代を明確に区切ることによって対抗するべきです。「世代論」というと、忌避したがる人たちもいますが、団塊が世代論を治めて曖昧な区分において、自分たちを「苦労してきた世代」に入れ込もうとするなら、我々はそれに対抗して、細切れに世代論を語って、団塊世代を「戦後の裕福な世代」に区分する、もしくは、「戦前」「戦後」という線引きを用いて、団塊世代までを現状の「若者」側に入れ込んでしまう、そのどちらかの戦略を取らざるをえないと、私は考えます。

 そういうわけで、私は細切れに世代を捉えながら、時々「戦前」「戦後」の線引きを使っているというやり方をしています。