ブラザーズ・グリム

「ブラザーズ・グリム」見てきた。(ネタバレありまくり注意)

 映画なんかめったに見ないんだけど、たまたま早く目が覚めて時間が余っていたのと、近くにできた映画館に一回も行っていなかったことと、その映画館のメンズディで1,000円だったことと、伊集院がラジオでテリー・ギリアムにインタビューしていたことが重なったという理由で。



 で、感想なんですが、ファンタジーというモノを感覚的に理解できている人間には、普通に楽しめる作品。でした。

 いや、ここが問題で日本に「ファンタジーというモノを感覚的に理解できている人間」なんて、そうそういないんですよ。指輪物語を桃太郎のように読んできた人たちと、ロードオブリングなんて映画ができて、ようやくその存在に気付く日本人では、致命的に差がありすぎます。

 実際、ブラザーズ・グリムの映画評をいくつか見ましたが、本当に「分かっていない」意見しか書いてありませんでした。まぁ「分かる」というのもおかしいけれども。

 なんか、この作品をテリー・ギリアムだから、なにか難しいものなんだろう。自分がこの作品を素直に楽しめなかったのは、難しいことを理解できていないからだろうなんて、偏屈に考える人が多いようですが、俺から見ればこの映画は単純で純粋なファンタジーです。

 後半の展開を「ご都合主義」と見た人もいるようですが、ファンタジーはいつだってご都合主義的なのです。つまりは、桃太郎に誰も「犬サルキジがきびだんごをあげただけで、桃太郎に付いてくるのがおかしいだろ?」なんて疑問を挟まないのと同様、王子様のキスでお姫様が目覚めるのも、最後がハッピーエンドで終るのも、それがファンタジーのお約束だからです。

 「お話しは、めでたしめでたしで終るのがお約束」と言ったのは、指輪物語のサムでした。それ以降、ファンタジーは「めでたしめでたし」で終わるのがお約束になったのです。



 この映画にはファンタジーのお約束的要素がつまっています。つか、ファンタジーのお約束と、テリー・ギリアムのギャグという2つの要素しかありません。

 オカルトを餌に金を稼ぐペテン師であるグリム兄弟は、主人公が英知を持った愚者であるというお約束ですし、子供が皿割れるというのもお約束。森は畏怖の場であり、バケモノの住処というのもお約束ですし、敵は魔女で、その手下がワーウルフ人狼)。そしてなりよりファンタジーというのは怖いものだというのが、もっともお約束的でしょう。

 ただ、ここでテリー・ギリアムのオリジナリティーあふれる部分は、お約束を過剰に積み重ねる(台詞で言わせるまでに)ことによって、それを猛烈に意識せざるを得ないという作品になっているということ。これが日本人にとっては不可解なのでしょう。

 だけれども、これを「時代劇パロディー」だと理解すると、その意味が理解できるのではないでしょうか? お約束をお約束のまま、消化していくことは、その展開が身体に染みついていればいるほど、お約束は良質なギャグとなります。たとえば水戸黄門の印篭というのは、それがお約束であると同時に、その途端に命がけでチャンバラしていた相手が突然土下座をするという、爽快感のあるギャグになっているのです。



 結局、ブラザーズ・グリムは、「ファンタジー作品」なのではなく、「ファンタジー精神でつくられた作品」なのです。

 そして同時に、テリー・ギリアムのファンタジーに対する愛情の表明なのです。

 だって、最後に森から生還した4人と11人の子供たち、そして村人たちは、みんなファンタジーを心から信じたのですから。