寄贈の餌、自宅に持ち帰る 札幌の円山動物園職員(Yahoo!News/共同)



 「暴走する規範」。このニュースを聞いて、こんな言葉が真っ先に思いついた。



 そもそも、スーパーの寄贈とやらも、どうも火災後のゴミ処理費用を浮かすためにしか思えない。

 餌としての寄贈なら、受け取る時点で動物の餌とならない米は辞退すれば良かったのだろうが、やはり市の施設としては、そう邪険にすることもできないというのが本音だろう。

 今回問題になったケースを含め、スーパーの火災という点から、複数のケースを考えてみる。



1、スーパーですべてをゴミとして処分する。(スーパーに高いゴミ処理費用が発生)

2、動物の餌となる野菜などのみを動物園に寄贈し、米はスーパーで処分する。(スーパーに安いゴミ処理費用が発生)

3、動物の餌として送られたのだからと、野菜などは動物に与えて、使えない米は動物園でゴミとして処分する。(動物園に安いゴミ処理費用が発生)

4、動物の餌として送られたので、野菜などは動物に与えて、使えない米は職員で分ける。(ゴミ処理費用なし)



 誰がどう見たって、4が誰も損をしない、もっとも妥当な処理方法であることは明らかだろう。なのに市はこれを処分するという。

 そして、先日も書いたように、このようなゼロトレランス社会(これについては、教育問題などを踏まえて後日書きます)を要求しているのは我々一般市民である。



 つか、この程度がさも汚職であるかのごとく糾弾されるんなら、ホワイトバンドがバカバカしいほどに糾弾されるのは、納得といえば納得だ……