とうとう保坂展人までもが右傾?

 私が選挙の旅に「投票して良かった政治家」の一人として揚げる保坂展人氏ですが、Blogにこのような記事をあげているのを見て、失望しました。


もっとも具体的な方法は、子どもをひとりで、ないし子どもだけで登下校させないことだ。たとえ社会的コストがつきまとっても実現すべきなのかもしれない。現に欧州の都市では、スクールバスか親の送迎が義務づけられている。小さな子どがひとり街を歩く姿はない。

 先日も書いたように、子供の登下校を監視する体制というのは、子供の人権をないがしろにするものです。そして子供自身が親のエゴによってないがしろにされている現状は、児童虐待の数字によく表われています。(もちろん、児童虐待というものが「問題視」され「報告」されるようになったのが極めて最近の事であり、数値の増加は決して虐待自体の増加を表さないことに注意)

 例1:平成16年には、虐待によって51人の児童が殺された。(PDF資料)

 例2:平成16年度の虐待相談件数は32,979件。



 あと、「他の国と比べれば子どもが対象となる犯罪も少なかった。」という発言もどうかなぁ。

 他の国はともかく、国内においては児童に対するレイプ犯罪数は右肩下がりです。

 また、レイプに関していえば、かつては被害側自らの恥や、家族の要請により訴えなかったような事が多くありますので、実態はもっと左側が上がっていると考えるべきでしょう。

(下の強制わいせつのグラフは右肩上がりになっていますが、強制わいせつは「痴漢」犯罪が多く、1997年だか98年だかに取り締まりを強化したために、一気に急増しています。また、その増加の多くが中学卒業以上であり、今回問題になっている年代とは異なることにも注目してください)



 だいたい、「小さな子どがひとり街を歩く姿はない」などという街は、我々にとって好ましいものでしょうか?

 人が街を歩かずに、車で移動する。街を点(学校と家)と線(道路)としてしか理解しない人たちが増えているからこそ、街からコミュニティーが失われていったのでしょう。

 当然、コミュニティーの喪失は安心の喪失に繋がり、その結果、今日のような過剰な安全志向によって、子供たちの人権が抑圧されるに至っています。



 最後に保坂は


格差社会が広がれば明らかに治安は悪くなる。その根っこにふれる対策でなければ本当の効果は出てこないはずだ。

 と記していますが、子供を街から追い払い、親という強権者の支配下で管理監視するような提言は、とても「根っこに触れるような対策」にはなりえません。