変な話をするけどさ、わたくし赤木智弘は、東天王ヨブに憧れているわけですよ。
ね、変な話でしょ。東天王ヨブは、赤木智弘のハンドルじゃねーかと。ナルシズムですか? みたいな。
でも、本名の自分の無味乾燥とした生活と、そこに貶められて、抜け出すことの努力すらできない自身の不甲斐なさを認識する中で、東天王ヨブのように自説をはっきりと表明し、社会に対して強気でいられる人格というのは、まさに理想なんですよ。
「これからは本名でやる」といいながら、今だに「赤木智弘(=東天王ヨブ)」という書き方しかできないのは、この両者が自分の中でイコールになっていないからで、本当は本名一本でやりたいんですよね。
けれども、それにはWebを現実に変換しなければならない。その手段がまったく分からない。
ここで書いているそのものが生活の手段、すなわちお金になることでしか、それはなし得ないと思うのだけれど、その手段が全く分からない。
そして、いざ自分の文章をお金と見比べた時に、それに値するものであるという自信が全くない。
なぜなら、お金という「生活」を見つめるのは東天王ヨブではなくて、社会とロクに対峙できない赤木智弘としての意識だから。
文章がWeb上での、あくまでも「架空」の存在であるかぎり、東天王ヨブとして強気で要られるけれども、生活者としての自分はとても恥ずかしくて後ろ向きでしかいられない。
いつの日か、東天王ヨブの強さを、赤木智弘の中に内包できる日は来るのだろうか?
……。こんなことを書いても情けないだけなんだけど、今ははっきりとそれを伝えたい気分だ。きっと後から読むと消したくなるんだろうけど。