自虐史観に負けるな友よ

 中学生ぐらいの頃かな。父親が多分電車の中で読むであろう、ビックコミック(オリジナルだとおもうけど、スペリオールと区別が付かないので分かんね)を持って帰ってきていた。私はそれをみると、必ずめくって西岸良平の「三丁目の夕日」を読んでいた。

 昭和初期の牧歌的な世界と人間観は、幼心に心地の良いものであったし、時はまさに少年ジャンプ全盛期で、「友情・努力・勝利」と冠される、極めて熱く、そしてなにやら薄ら寒い少年漫画が身の回りにあふれる中で、西岸の漫画はそれとは違った漫画のありようを伝えてくれる箸休め的な作品で、素直にとても大好きだった。

 けれども、それはあくまでも「漫画の中の世界」だった。私はあくまでも西岸漫画を「失ったものへの郷愁」と理解したし、漫画界的にも西岸は佳作作品を多く生み出す漫画家として扱われており、決して大々的に取り上げられるような存在ではなかった。

 そして、西岸漫画の世界は、あくまでも「仮想」であった。あの頃の漫画界は仮装と現実をしっかりと区別していた。



 時は過ぎて現在。

 知ってのとおり、あの「美しい幻想」に過ぎなかった三丁目の夕日は、なんかへんな英語名を付けられて、映画になった。

 そして、その映画を観た人が感想を言う類のCMだったか、映画特集の1シーンだったか忘れたけど、若い人がこの映画を見て「昔は、人々が生きるという事に対して、真剣だったような気がします」と発言していたのを見た。



 「ねぇ、それは映画ですよ? 脚本家が脚本書いて、演出家が演出して、役者が演技をして、大道具や小道具がセットを組んで作り上げた仮想の世界ですよ?」



 第2日本テレビの中に1964年(昭和39年)の東京の映像がありますが、煙に被われてとてもキレイなどと一言でも出てくるような空ではありません。

 念のため、環境白書を調べてみると、昭和44年頃からになるが、長期のグラフのある「窒素酸化物」「粒子状物質」「硫黄酸化物」「一酸化炭素」、このいずれにおいても、グラフは右肩下がりであって、映画の中で映し出されるであろう「美しい空」など昭和30年代にはとても望めなかったであろう現実が見受けられる。(そして当然撮影は現在なのですから、あの空は現在のもの)



 思い出は常に美しいものだし、それを単独で美化することに文句をいうような野暮はしない。

 けれども、そうして作り上げた仮想現実と、現在を比較して「昔のほうが良かった」などというなら話は別。

 ましてや、このようなメディア利用の上で若い人たちに、さも「昔の人たちは偉かった」と思わせるようなことをするのなら、当然徹底的に反論させてもらう。

 若い人たちが、自分たちの事を卑下することのないように、それこそ若い人たちが生きた歴史を否定する本当の意味での「自虐史観」に陥らないようにしたい。

 そう、自虐の「自」は「自分」の自であって、決して「自国」などという意味不明の単語に読み替えてはならない。

 自分を守れ! 自分の今生きている世界を守れ!! それこそが現実だ。

#次回予告

「「世に倦む日日」の哀れな教育観 おじいちゃん、もうやめて(笑)」の巻