第1章 「中流化」から「下流化」へ(未完成品)



 この章で三浦展は、下流が増えることによって、社会の全体的な収入が減ることを説明している。そして、その数値的説明だけなら、この章で私が取り上げるべきことはなにもない。

 だが、決してこの章は数値を解説するだけの存在ではない。この本を読むにあたって、もっとも危険なのは表層的な数値に騙されることだ。三浦展の真の意図(本人が意識しているかどうかは知らない)は数値ではなく、その数値を取り上げている事例の方にある。この本を批判するためには、本来ならAとかBという変数として用意されるべき箇所に書かれている単語に注目する必要がある。



 ここで三浦展が例としてあげているのは、「スーツ」である。

 そして、30ページにはこのような文章がある。


 国民の多くが、中流を目指すため、中流であることを確認するためには消費をしなくなる。あるいは、中流であることを象徴するようなものが売れなくなる。いや、すでに売れなくなっている。

 とんでもなく大仰な文章ではあるが、この言葉がこの章においての三浦展の意図を存分に語ってくれている。つまり、「スーツ」こそが、「中流を象徴するもの」なのである。

 三浦展は、スーツというものを用いて、下流化によってその販売額が目減りすることを指摘するが、その実は数値ではなくて、「スーツが売れなくなっているという問題」そのことこそが、三浦展がもっとも強調したいことなのである。



 かつて、バブルの時代、いや、サラリーマン層が飛躍的に拡大していた時代においては「スーツがビジネスマンの価値を決める」と思われていた時代があった。

 みなさんも社会人になる前に「初任給で、最高のスーツを買いなさい。そうすればそのスーツに似合うだけのライフスタイルが自然と身についてくる」などという話を聞かされた覚えがあるのではないだろうか。

 実際、かつてのオーダーメイドスーツの値段というのは、大卒の初任給とほぼ同額という基本路線があった。また、三浦展が就職をし、初任給を得たであろう1980年前後の大卒の初任給は、ほぼ10万円強(仙台市男女共同参画推進センターによる一覧 PDF資料)であった。

 この本に示されている「上物のスーツ 10万円」というのは、そういう数値なのだ。

 結局、この章の主題は、「初任給で10万円のスーツを買うようなライフスタイルが「中流」を維持した」という、三浦展世代の自画自賛に過ぎない。



 その一方で、三浦展は第6章で「下流」のライフスタイルをこう定義している。


・パソコン(Personal Computer)

ページャー(Pager) =携帯電話

プレイステーション(Play Station)=テレビゲーム

以上3つが団塊ジュニアの特に「下」における三種の神器であろう。

 先にあげた引用を用いれば、これらのものは「下流であることを象徴するようなもの」となる。

 だが、これらの品物がスーツと何か違うとでも言うのだろうか?

 スーツが三浦展世代のステイタスだったというなら、この三種の神器でステイタスといえるのは、携帯電話だろう。

「高級なスーツを買うこと」と、「携帯電話を買うこと」の間に、根本的な何か違いがあるのだろうか?

 携帯電話を買い、利用を持続する原因は「もっているのが当たり前だから」だろう。

 携帯の契約数はすでに9,000万件に近づきPHSまで含めれば、契約件数を日本の人口で割った全国普及率は、70%を超える。この数値は赤ちゃんから老人までの数値であるから、『下流社会』で槍玉に上げられる若者に限れば、その普及率は90%を超えることは間違いない。

 ならば携帯電話を持つ、もっとも重要な理由は「普通であること」であろう。

「みんなが持っているから、自分も買う」。これはまさに三浦展の言う「中流を目指すため、中流であることを確認するための消費」そのものではないだろうか?



 三浦展の言う「中流を確認するためのスーツ」と「下流の神器である携帯電話」は同じものである。

 ただ、唯一違うのが、スーツをみんなが買う状況が、経済的に中層であった若者の中にあり、携帯電話をみんなが買う状況が、経済的に下層である若者の中にあったという部分である。

 つまり、「上物のスーツを買うから中流、携帯を買うから下流」なのではなく、「かつての一億総中層の時代に、上物のスーツを買う文化があり、現在の階層化社会の時代に、携帯電話を買う文化がある」のである。



 ライフスタイルが経済性を生み出すような三浦展の論理は、主客が完全に逆転している。



 そして、さも簡単に我々が経済をコントロールできるかのような幻想を

 我々の意識で経済環境をコントロールできるかのような幻想をふりまいている。



 こうした「主客逆転」こそが、『下流社会』を貫くインチキの正体である。