第2章 階層化における消費者の分裂 (その1)


 まず、内容に入る前に章建てのタイトルから考えてみたい。

 「階層化における消費者の分裂」。ここで三浦展が論じたいと考えているのは「消費」であり、決して職業に対する姿勢ではないことに注意したい。



 『下流社会』における三浦展文章は、当人が自分の書いている内容を分かっていないのか、もしくはワザとはぐらかせてこんな書き方をしているのかは知らないが、極めて不誠実な記述に満ちている。

 私が手にしている本は10刷で、帯書きに重松清がこんな文章を寄せている。

「意欲を失いがちな現代人への警告の書である−作家 重松清

 だが、この本で語られる「意欲」とは、ただひたすらに「金銭欲」「消費欲」のことであって、決して職業に真摯に取り組むような「勤労意欲」は問題にしていない。(むしろ『下流社会』においては、勤労意欲(使命感、倫理観、職業的充実感)に引っぱられて金銭欲を失うことこそ、非難の対象だ)

 だが、世間の『下流社会』を好意的に見ている書評をみると、この点を全く理解せずに、「一生懸命働かない若者」などという差別的なニート論を下敷きにした、安直な若者批判に直結しているケースが多いようだ。そして、三浦展自身、そうした誤解を取り除く作業はしていない。

 「はじめに」でも書いたが、三浦展の論理展開を整理した時に見えてくる「上流」というのは、一貫して「金銭的意欲」のことであり、決して勤労意欲を指すものではない。

 真面目に働く年収500万で平々凡々と暮そうとするサラリーマンより、パソコンの前に座って1,000万を稼ぎ、「来年は2,000万」と考えるデイトレーダーの方が、この本においては「上流」なのだ。

下流社会』を読む時に、この原則は絶対に忘れてはならない。



 この章の内容に入る。

 さすがに「消費者の分裂」と言うだけあって、消費の主体たる女性中心に話が進められている。あとに男性の分類もあるが、極めて雑なものだしオマケといってもさしつかえないだろう。もっとも本題たる女性の分類も雑なのだが。

 三浦展は「上昇志向(上流)−現状志向(下流)」「職業志向−専業主婦志向」のラインをつくり、4つの分類にそれぞれ「お嫁系」「ミリオネーゼ系」「ギャル系」「かまやつ系」とあてはめる。

 図には、ミリオネーゼがやや小さく、ギャル系が多少上昇志向側に寄ったりしているが、けっしてそれに意味があるとは思えない。あくまでもそれらしく見せるための手法だろう。

 ちなみに「かまやつ女」というのは、「かまやつひろしのような容貌」という意味でかまやつなのだが、若い人にはイメージが湧きやすいとは言えない用語法を見ると、三浦展がどんな人たちに向けて本を書いているのかがよく分かる。

 それと、図の中で「最近の若い女性の中で増加しているファッションの累計」なのだと三浦展はいうが、イメージ的にはファッションだけなら「ジョンとヨーコ」の時代の女性がイメージされるので、決して最近というわけではないように思える。

 そして、この4分類と別に「普通のOL」という分類を作って中央に配置している。これに関して三浦展「こういう女性を一応「普通のOL系」と呼んでおこう」と、いい加減な態度で〆てしまっている。

 だが、OL系を「普通」だというなら、普通であるという論拠があってしかるべきだろうに、そうした誠実な態度は三浦展にはない。そしてこの「普通」という言葉が、この図の「重大な欠落」を覆い隠している。この点については後に触れることにしよう。