第2章 階層化における消費者の分裂 (その2)

 三浦展は「お嫁系」「ミリオネーゼ系」「かまやつ系」「ギャル系」の分類から、それぞれの立場の女性に対し、インタビューを行っている。

 それぞれ冒頭の数行を引用するので、ざっと見比べていただきたい。

・お嫁系


 女性誌で化粧品関係の記事を書くアルバイトをしています。バイト代は月に15万円、親からは生活費として月3蔓延ほどもらっています(今は就職活動中なのでバイトは休業中)。就職は出版社を目指しています。大手出版社に落ちたら、中堅出版社も受けます。中学生の頃から出版社で雑誌を作りたいと思っていたので。

 仕事柄、世の中で話題になっているもの、流行しているものには敏感で、バイト代はすべてファッションに使っています。でも飲食店には「ホットペッパー」のクーポンを使えるところに行ったりしますよ。

・ミリオネーゼ系


 現在、夫と子供と3人で大田区内に賃貸マンション住まい。住居費は25万円。夫の年収は1200〜1300万円くらい。住居費と生活費合わせて40万円は夫が支払う。自分は毎月40万円貯金。貯蓄額は2000万円。そのほか、親からもらった株券が2000万円ほどある。夫が貯金しているかどうかは知らない。クルマはBMW525に乗っている。今度はレクサスもいいなと思う。持ち家の予定はまだない。夫がその気にならないので。

・かまやつ系


−1年間の洋服代はいくらですか?

「んーと……けっこう買ってるかも。10万円もしないとは思うけど」

−世間一般と比べてあなたの生活レベルは100点満点で何点ですか?

「世間一般? 生活レベルってどういう?」

−経済的な面もあるし、知力とか生活の質とか中身とかいろいろな意味で、教養とか、文化的な側面とか全部ひっくるめて。

「ああ、どうなんでしょう。世間一般と比べて、ですよね。まぁ50点ぐらいですか」

−その理由は?

「まぁ植木屋さんをやっているってことで、東京にいてもちょっと自然と触れ合ったりできるし」

・ギャル系


−世間一般と比べて、あなたの生活レベルは100点満点で何点くらいですか。

 30点くらい。朝、ちゃんと起きれない。だらけすぎなので。

−現在の生活への満足度は。

 40点くらい。父親がすごく厳しいので、早く家を出たい。

−結婚は?

結婚は専門を卒業したらすぐにでもしたい(ただし、現在彼氏なし)。専業主婦志向。仕事をしていたら夫と生活が合わなくなるから。子供は2人欲しい。22、23歳で産みたい。

 どうだろうか? ここではインタビューの内容ではなく、インタビューの記述形式、すなわち三浦展の意図に注目したい。

 三浦展が『下流社会』で行っている主張は、「金銭的意欲を発揮することこそ必要だ」というものである。そしてそれはこの類型において、上昇志向−現状志向のベクトルに表される。つまり「上昇志向をもつ女性ほどいい」と三浦展は言っているのである。具体的には「お嫁系」「ミリオネーゼ系」が三浦展のおめがねにかなう女性である。

 それを理解した上、引用部分を読み返すと、そのあまりにも恣意的な記述形式の違いが嫌でも見えてくる。



 まず、お嬢系とミリオネーゼ系は、さも一人で自分の現状をすらすらと話しているかのような記述形式になっている。一方で、かまやつ系とギャル系は、1問ごとにインタビュアーが登場し、さも、たどたどしく答えている印象を与える。

 しかし、自分から給料やライフスタイルをぺらぺらしゃべって、しかも会話が途切れないような人間がいるだろうか? もし、本当にこのようにしゃべっているとしたら、お嫁系やミリオネーゼ系って人種は、よっぽど口が軽いのではないだろうか?

 当然、これらの会話はすべて三浦展によって編集されたものだ。実際にはすべてかまやつ系やギャル系のような、インタビュアーが質問し、それに対して返答する形で行われたのであろう。マスコミ慣れした業界人に、大いにビジョンを語ってもらうようなインタビューならまだしも、一般人に対するインタビューでここまでぺらぺらしゃべってくれる人はいないだろう。ましてや個人のプライバシーに関することなど普通はしゃべらない。

 ところが、三浦展の主張に添うお嫁系、ミリオネーゼ系は、さも明確なライフスタイルの志向性を持ち、それを自ら完全に理解しているように記述される。

 片や、三浦展が嫌うかまやつ系、ギャル系は、人に聞かれないと自分のライフスタイルも答えられないような、非常に未熟な人種のように記述される。ギャル系に至ってはカギカッコすら付けてもらえない。

 別に、後者も前者のように書こうと思えば書けないわけではなく、その逆だってできないなどということはない。実際、男性の類型であるSPA!系とフリーター系(それぞれ女性のかまやつ系とギャル系に対置できる)に対するインタビューでは、前者のような形式で記述されている。

 結局、三浦展は自ら「このような記述形式を選んだ」のである。

 その理由は明らか。読者に対して前者に自立して明確な意思を内包しているかのような好意的なイメージを持ってもらい、後者に未成熟で意思を持たないという否定的イメージを持ってもらうためだ。

 この『下流社会』において、三浦展はこうした「印象操作」を数限りなく行っている。

■「普通のOL系」は本当に普通なのか?

 三浦展は、このような4つの類型の他に「普通のOL系」という類型を設定している。普通のOL系について、三浦展はこう説明している。


 専業主婦志向ではあるが、裕福な男性の争奪戦に破れて(あるいは早々に戦線離脱して)今は未婚であり、だからといってミリオネーゼのように仕事に生き甲斐を見いだす意欲も能力も不足している。もちろんギャルになるにはそこそこ知性も学歴も高く、美容師やアーチストになるほどの美的センスや自己表現欲求はない。

 だが、多少手に職系やサブカルチャー系の職業には関心があるので、自由な時間を増やすために派遣社員になり、「ケイコとマナブ」を読んでフラワー教室やらアロマテラピー教室やらゴスペル教室やらに通っては自分さがしと癒しとプチ自己表現に明け暮れている。しかし、とてもそれを仕事にするところまではいかず、ふと我に返って、簿記などの資格でも取ろうかなどと思ったりするが、しかしそんな資格を取ったら、ますます結婚が遠のくかしらとも思っている。

 まあ、こんな感じの女性も多い。というか、実はこういう女性がもっとも多数派であろう。そこでこういう女性を一応「普通のOL系」と呼んでおこう。

 これが三浦展の「普通のOL系」に対する記述のすべてである。インタビューもない。

「こういう女性を一応「普通のOL系」と呼んでおこう」という記述から、これがその他の4類型のオマケでしかないことは明白である。

 しかし、「こういう女性がもっとも多数派であろう」というなら、その多数派を視野に入れない類型化などに、はたしてどんな意味があるというのだろうか?

 また、このオマケの分類についても三浦展は極めて恣意的な分析をしている。

 「自由な時間を増やすために派遣社員になり」などというが、専業主婦になることまで視野に入れている普通のOL系は、わざわざ派遣社員なんてやりたくないのではないか? 派遣社員という不安定な立場に立つのはもっぱら、手に職をのかまやつ系か、不況時の異様に厳しい就職戦線に破れ、正社員になれなかった層ではないのか? また「サブカルチャー系の職業」というのも、イマイチ意味が分からない。ただ単語の語感だけではないのか?



 また、いわゆるこのレベルの「普通」な女性は、みんなOLなのだろうか?

 地方の短大ぐらいを出て、就職はせずに、実家で暮している女性は、以上の5分類のどこにあてはめるべきだろうか? と考えると、そうした女性にあてはまる分類が全く見つからないのである。決して私が極端な人物像を描いているのではなく、このような女性はまったく「普通」の女性であることは、同意してもらえると思う。

 お嫁系にあてはめられるか? とも思うのではあるが、実家で暮すような女性は男性に対してそれほどまでに裕福さを望んでいない。仮に望んでいるとすれば都市部に出てくるはずだし、出会いのために一流企業に就職することを目指すのではないか。

 だからといって、当然ギャル系にもあてはまらない。三浦展はギャル系を「学歴は高卒、あるいは高校中退ないし専門学校卒が主」と分類している。

 かといって、当然仕事をしてなければ、ミリオネーゼやかまやつ系、そして普通のOL系のはずもない。

 そう、三浦展は「地方の短大を卒業し、実家で地元の男性との結婚を考える」という「家事手伝い系」という分類をしていないのである。



 家事手伝い系は、いわゆる男女共同参画が叫ばれる前までの「普通」の女性像であった。

 この類型の後に「女性も自己責任の時代」の項目で三浦展が書くように、男女共同参画が進むにつれて、個人として扱われる女性が「学歴、性格、容姿などのすべての要素に評価され、選別され、差別される時代になった」

 しかし、決して女性を取り巻く環境がすべてそのように変化したわけではなく、今だに「女性は仕事などしなくてもいい」とする意識は強いし、女性自身もそのような環境を上手に利用している感がある。むしろ三浦展のような認識は、都市部でしか通用しない感が強い。

 そう考えた時に、三浦展は類型にはっきりと「家事手伝い系」を定義するべきであった。しかし、三浦展は家事手伝い系の存在に気づいていたとしても、決して定義することはなかったであろう。

 なぜなら、家事手伝い系は間違いなくギャル系の分類に重なるものであり、そうなれば三浦展がこの本の「読者層」として定義している中高年層から批判を受ける可能性が非常に高いからだ。

 家事手伝い系を良いイメージで見るのは、もっぱら中高年層であり、彼らのイメージと、この本に書かれるイメージが離反してしまえば、三浦展は批判に晒されることになる。

 マーケティング屋の目的は、ターゲット層に合わせて商品を売ることである。ここで「家事手伝い系は下流だ!!」と正しいことを指摘してしまえば、ターゲット層には総スカンを食らう。そのためには「自らにとって不利益になることを書かない」ことが、マーケッターとしての正義である。

 この本がどういうスタンスを取っているかといえば、「最近は若者の間で、経済格差が開いてきている。それは若者自身による意欲の有無の問題である!」というものである。そのためには、本来の社会的問題である就職機会の不平等や、世代間の圧倒的な格差、不況問題などは決して触れてはならないタブーとなる。この本の読者である中高年は、「必死に努力した結果、経済的成功を自ら勝ち取った」ということにしなければならず、まさか「たまたま好況だったから、終身雇用で現状維持の下流志向でも、たくさんお給料をもらえた」などとおくびにも出してはならない。

 そして当然、ターゲット世代の常識である「女性は家事手伝いで、専業主婦」という下流志向を批判してはならないのである。



 三浦展はあくまでも「マーケティング・アナリスト」でる。そのことをゆめゆめ忘れてはならない。

 彼らにとって、社会やデータは現状を把握するためではなく、自らの利益のために利用するために存在する。

 そして、それこそ三浦展自身が「上流志向」であることの証明なのである。