「ニート」って言うな! 書評

 まずは、本の全般的な内容については、同意していることを宣言しておきます。

 その内容を書くと、それは私が今まで主張してきたことの繰り返しになりますので、ここでは書きません。

 とにかく、現在のニート言説が、本当の問題をうやむやにし、ただ若者という「年齢的に非可逆的な存在」をバッシングし、既得権益者たちの卑しい満足感を刺激するだけ差別言説であることに、全面的に同意します。



 しかし、しかし、それでも思うのは、この本がまだ「お上品過ぎる」ということです。

 具体的には、何か具体的な「悪役」、玄田有史ニートという言葉であるとかが設定されているのですが、実際の悪人は玄田有史ではなく、ましてやヒキコモリやニートという言葉自体でもなく、これらの言葉を嬉々として利用する全ての一般市民です。

 そういう意味では後藤さんの試みはそうした人たちを叩くことに近いのですが、本や雑誌などのメディアから抜き出すということは、結局「メディアに言説を掲載できる人」という狭い範囲でしかなく、「ニートと言う言葉を利用する一般市民」を安全圏に批難させてしまっています。

 私が好ましいと思うのは、「ニートが増えていて、日本がおかしくなっている」などと言っているオッサンなんかが、タイトルや帯の文章を見て、嬉々として購入し、半分ぐらい読んだところで本を投げ捨てるような内容です。

 それには、本の前半ではさもニートに関するまことしやかに侮蔑的な話題を投げつけながら、唐突に「今までのことは全部うっそだピョ〜ン。信じてたお前は馬鹿、池沼!!」ぐらいのひっくり返し方をしてさしあげるべきなんですよ。

 こうやって書くとなんかふざけた内容に思えますが、DHMOがネットで大きな反響を引き起こしたことを見れば、そのような手法が「話題を喚起するため」には非常に有効であるということが理解できるかと思います。



 で、この本の場合、タイトルが『「ニート」って言うな!』で、帯書きが「なぜこの誤った概念がかくも支配力を持つようになったのか」です。これではニートが増えていることを信じて疑わない人は、絶対に手に取りません。彼らはそもそもニートという響きに侮蔑的な快楽を覚えるような捻じれた性格の人たちですから、自分が傷つくような物には決して近づきません。



 若者卑下の大きな問題は、彼らをバッシングしたところで、バッシング側はなんら痛みを感じないという点です。

 そして、ニートと言う言葉を語る時に、それがさも他者によって「この人は差別をしている」ではなく、「教育のことを語っている」という受け取り方をされる点です。

 それをひっくり返すためには、「ニートと言うことに痛みを感じない人」や「ニートを教育論だと思いこんでいる人」に手に取ってもらえる本を作ることが必要です。そういう意味で『「ニート」って言うな!』は想定すべき読者を間違えています。



 出版業界はなんか「新書ブーム」みたいなことになっていて、なぜか橋本治の本(「別に今までとスタンスが変わったわけでもないのに」という意味。橋本治に対しては私は畏敬の念を覚えています)までもが新書だからと売れてしまう時代です。そうした時代に「新書で出版する」ということは、自ずと「そのブームを利用する」という意味を含みます。

 利用するというなら、とことん利用すべきです。そういう意味で「もっと下品であってほしかった」というのが、この本に対する私の感想です。