おいしい事件 おいしくない事件

 つい、お笑いウルトラクイズのDVDを買っちゃったんですよ。(アマゾンでは、編集に対する評価が散々なようですが、別に普通に楽しめましたよ)

 で、DVD特典の芸人座談会を見てたのですが、その中で出川が「収録が終って、横転した車から脱出したら、その直後に車が爆発した。そしたらスタッフが「もっと近くならおいしかったのに」って言った。もっと近かったら死んでるよ(笑)」みたいな話をしていたんですね。



 で、園児2人が、別の子の親に殺された事件がさかんに報道されているのも、「子供二人が殺されて“おいしい”」ということなんでしょうね、と。犯人が中国籍な点も非常においしいですね。

 で、私の「親の子殺しメモ」を見ていただければ分かるとおり、今月の7日から10日にかけて、4人の子供が殺されている。そして、これはほとんど報道されなかったわけです。つまりTV的に“おいしくない”事件なのです。



 TVの前の視聴者が求めているのは「子供が他人に殺される事件」です。

 愛する子供を失い、泣いている母親の心情に共感し、同時に犯人への憎悪をもって、己の正義感を確認するのです。

 ところが、親が子供を殺したのでは、親の心に共感できませんし、自分たちと近しい存在である親を憎悪することもできません。

 世間の人たちがTVで見たいものは「子供が殺されてしまった」という事実ではなく、「愛する子供を殺されて、親が泣いている」というドラマツルギーそのものなのです。