プロとか素人とか

 除雪の手足りず、悲鳴 「危険」「早く春に」(Yahoo/共同)


自治体からの災害派遣要請を受けた自衛隊が現地入りする一方、ボランティアによる支援活動も本格化しているが、豪雪地域では9日、「危険すぎて素人には頼めない」「早く春になって」との悲鳴も聞かれた。

 私がすごく気にかかるのは、この記事が包有している「プロ=自衛隊」「素人=ボランティア」という思考だ。

 だが、自衛隊やボランティアのことを言いたいのではなく、「プロと素人」という区分けの問題だ。

 件のイラク人質事件もそうであったが、あの事件で自己責任を叫んだ人がもっとも念頭においたのが、彼らが「素人」であったことではなかったか。「戦争問題はプロに任せて、素人は引っ込んでいろ」という考え方が日本で強かったというのが、あの珍事の本質であったように思う。

 また、「プロ市民」という言葉を嘲笑するような動きも、「市民=素人」という考え方によるのではないか。

 「御上にたてつくな!」ではなく「素人は黙ってろ!」という考え方。

 これは、目立った素人を攻撃する一方で、黙るしかない自身の弱さを隠蔽する。個人の権利や社会の正義が犯されようとしている時に、自身の責任を「黙って」やり過ごすことのできるこの論理は、非常に強固なものであるように感じられる。



 除雪ということで言えば、確かに素人の雪下ろしは危険だが、かといってガチガチのプロ技術が必要な仕事でもない。

 雪は毎年振るし、現時点での積雪が突然なくなるわけではない。ならばボランティア団体や、希望者に対して雪かきの技術を教えればいいだけの話ではないか。

 また、できればそのことでボランティアが対価を得られればもっといい。円では予算が不足するというなら、地域通貨のような形でもいい。「ボランティアは無料で奉仕するものだ」などという考え方も、プロと素人に対する過剰な区別だ。ボランティアは経済活動に組み込まれてもいい、いや、組み込まれるべきだ。組み込まれた上で、ボランタリーな活動を行っていけばいい。



 どうにせよ人が仕事をするのに、プロだの素人だのいう過剰な区分は必要ない。お互いの間に過剰な垣根を築くことは、人間に対する不信そのものであると、私には思える。