あの御方が妊娠されたそうですが……

 検査で「ご懐妊の兆候が見られる」なんて段階で、なんで報道するかね。

 マスコミにむけて発表しちゃう宮内庁の考えが分からないし、それを嬉々として報道するマスコミの考えも分からない。

 安定期にも入ってないこの時期に、皇室典範の件もある緊張の中で、かつての悲劇をまたくり返すつもりなのか?

 人間としての最低限の良心すら介在させず、ただ伝聞を右から左へ伝えることの恐ろしさを、この報道に見る。



 加藤周一は『論座(2006.1月号)』で、「若い人が天皇制に関心がないのはなぜか」という文脈において、天皇制の意味について、このような論理を展開している。


 天皇は、勲章や名誉のような何かを与えてくれるとか、ありがたいとかいうことではなく、自分の社会的地位の上下を測るための「定点」だからです。だから社会的地位がある人ほど天皇制を意識し、熱心になるのです。

 この言葉には複数の意味が含まれると思うが、報道対象や世間の興味対象としての皇室という点においてのみ、この言葉から抜き出すとすれば、それはまさに人間ではなく「自分(個人)のための便利な道具」として天皇、ならびに皇室を利用するということに他ならない。端っから天皇家は人間ではないということだ。これから生まれてくる子供さえも。



 だが、このような「人間を定点に置いての利用」は、単に「田吾作による天皇利用」と言って済む問題ではない。

 天皇を「上の定点」だとするなら、昨今のニート言論は「下の定点」に対する欲求といえよう。

 お偉い方々は、天皇との関係性で自らの社会的地位を確認し、サラリーマンたちはニートを罵倒しながら、自らの社会的地位を確認する。そしていずれも定点を人間扱いなどしていない。定点の移動を許さないという前提で、社会は定点を犠牲にしながら栄華を得る。それはまさに、かつての穢多や非人と同じ意味をもつ、悪辣な差別の構図である。