反ジェンフリを必死に喧伝する馬鹿マーケ。

成城トランスカレッジ!より、「小寺信良:男は本当にメカメカしいものが好きなのか」


 男女の偏見イメージによるマーケティング戦略は、これまでのところ作り手と買い手双方が均等に偏見の呪縛から逃れられていないために、なんとなく上手く回転しているように見える。だがあと5年足らずで、若年層の傾向が全く見えない時代が訪れることになるだろう。



 なぜならば、小学校で性差別根絶教育を叩き込まれた子供達が、ティーンエイジャーに成長するからだ。まさにそういう子供を持つ筆者の目からすると、一時はこの教育法に対して行きすぎを感じたほどだ。それはもはや性差別を無くすというよりも、性差そのものを無くすかのような指導も見受けられたからである。

 ゲラゲラゲラ。

「見受けられた」というなら、それを実証してほしい。

 少なくとも八木秀次すら、自身の調査によっては存在を確認できなかった、「性差別根絶教育」とやらの存在を。

 ゲラゲラゲラ。


 一方で男の子は、赤い服を着ることに抵抗がなくなっている。これはヒーローの姿が大抵「赤」だったり、あるいはサッカーなどのユニフォームでも赤が用いられたりすることで、「赤=強さの象徴」といったイメージができあがりつつあるのかも知れない。



 もっともガンダム世代では、「赤=3倍速い」というイメージはとっくにできあがっていたわけだが、しかし服装にまで赤を持ち込むことはなかった。このあたりにもやはり、性差イメージによる洗脳の姿が垣間見られる。

 Wikipediaによると、「初代ガンダム」の放送開始は1979年です。しかし、初回放送時は人気がなく、話数が削られて強制終了させられたのは有名な話です。よって、「赤=3倍速い」などというイメージが形成された、というか「ガンダム世代」という括り自体が80年代以降のものでしょう。

 片や、開始直後から比較的順調に歩んできたスーパー戦隊シリーズ「ゴレンジャー」の開始は1975年。現在まで連なるお約束にもなった、「リーダーは男性で赤」はこの時点で既に始まっています。

 年齢層が違う!! と反論するなら、ジャケットが青から赤へ変更された、ルパン三世の第2シリーズ放送開始が1977年ですね。

 そんなわけで「ガンダム世代時点では服装にまで赤を持ち込むことはなかった」などという話が妄想であることは容易に理解できます。

 それとも「ゴレンジャーもルパンもジェンフリの陰謀だ!!」とか吠えますか?


女性だから暖色、男だったら黒かシルバー、といった旧来のセオリーが役に立たない今の子供達は、今後のマーケティング戦略にとってかなりの強敵になってくるだろう。

 そんなセオリーは5colorsのiMacが販売された当時には、とっくに通用しなくなっていたと私は記憶しております。



 そもそも、「女の子は赤やピンク、男の子は青や黒」(引用の中にある「暖色や黒やシルバー」というのは、どちらかと言えば中高生以降に対するセオリーだろう)というのは、子供自身の嗜好ではなくて、親が子供にものを買い与える際に最大公約数的「普通」を考慮したものではなかっただろうか?

 色だけではなく遊びについても、大人が子供の「あるべき遊び」を考慮し、「おもちゃを買い与える」のだから、子供相手のマーケは自ずと親の「子供に対する嗜好理解」を経由したねじ曲がったモノになる。そしてそのねじ曲がりこそがジェンダーである。

 赤は女、白は男という決めつけがある一方で、運動会における「赤組、白組」にそうしたイメージは存在しない。



 というか、「女の子は赤やピンク、男の子は青や黒」的なベタなイメージを具現化しているものって、マーケットが親に売りつけるもののではない、まともに歴史的に妥当であると考えられてきたものといえば、小学生のランドセルと、鯉のぼりぐらいしか思いつかないのだが……

 と書いて、ふと「鯉のぼりってなんだ?」と思いました。

 いや、なんだもなにも、鯉のぼりは鯉のぼりなんですが、鯉のぼりって「大きい真鯉はお父さん」と歌にも歌われて、色も黒ですよね。で、その下の赤くてちょっと小さい鯉がお母さんとされています。

 このイメージがいつから始まったかを調べれば、「男は黒、女は赤」のイメージがどのへんから始まったのかのおおよその検討がつくのではないでしょうか。

 で、調べてみると「秀光人形工房だより」というメルマガを発見しました。その中に「[秀光工房あたふた日記]------ 鯉のぼりの色は何色が好き?」というコーナーがありました。


ご質問のように、真鯉と緋鯉しか歌には出てきませんよね。

これは、

1)歌が作られた時には鯉のぼりは2種類しかなかった。

2)端午の節句は男の子のお節句とされていた。

の二つの要因からなんです。



本物の「鯉」って、青や緑の鯉は居ないですよね。

江戸時代に町人達の大胆な発想で創られた鯉のぼりなんですが、

さすがに実在しない色の鯉のぼりを創るまでには至らなかったようです。



実は、いろいろな色の鯉のぼりが登場したのは意外と歴史が浅くて、

昭和39年に始めて、若手鯉のぼり職人達の発想によって

五色の鯉のぼりが作られたのです。

そうです、オリンピックの五輪からアイデアを頂いたのですよ。

 そうだったのかーーー。

 まず、鯉のぼりの歌は「大きい真鯉はお父さん」という歌詞はあっても、「赤い鯉はお母さん」という歌詞はありません。それはそもそも端午の節句ということで、女性性を意識してないんですね。



 さらに重要なことは、鯉のぼりの色は、そもそもは「鯉は黒いから黒」なのであって、決して「黒=男」を意図したわけでは無いということです。

 しかし、錦鯉はいるのだから赤もいそうなものですが、その辺はどうなのでしょうか? 赤の使用が避けられていたとすれば、実は「男の鯉だから黒」という意図があったということは否めないのかも……。

 そう思って、錦鯉の歴史を調べると、錦鯉は江戸時代に変種の養殖によって生まれた鯉なんですね。要は土着の馴染み深い鯉である黒い鯉を写し取ったのが鯉のぼりであって、錦鯉はあくまでも「特別なもの」として考えられていたことが伺えます。

 ただ、江戸時代で既に錦鯉がいますので、探せば当時の「赤い鯉のぼり」を見つけることもできるかもしれません。ただし、この場合の赤は当然「女」のイメージではありません。どちらかと言えば、金持ちのイメージかもしれませんね。今だって錦鯉は金持ちのイメージですから。



 また、カラー鯉のぼりの考え方は、どっちかと言えばオリンピックに乗じた軽率な伝統破りだったようです。これにもさしあたっては「赤=女」というイメージは存在しません。いや、赤を黒の次にしたということは、そういうことも考えたのかも知れません。ただしそれはあくまでも昭和39年のことであって、決して江戸の昔から連なる歴史ではないということです。

 ……歴史といえば、着物の色なんかもあるな……今調べるとキリがないので、こんど歴史館とか行ったら、その辺を注意してみることにしましょう。


また、以前は鯉のぼりは男の子のお節句の物として扱われてきましたが、

祝日法が制定されて、五月五日が「子供の日」となった関係もあり、

やはり女性も鯉のぼりに参加した方が良いとなっていったのです。

 赤い鯉のぼりはジェンフリの陰謀だ!!(笑)



 おまけに、鯉のぼりを調べてたら出てきた、オモシロ読み物