年度が変わっても日本人のいい加減さは続く

で、結局「前原民主党」って何だったんだ?

 自民党のスパイとして、自民党を立て直す役割を担っていたとすれば見事だが、それ以外に何かを考えていたというなら……

『平然と学内でセクハラする脳』出版決定!

川崎の投げ落とし男は、今のところどうやら「普通のお父さん」なのだが、これを「子供を殺す犯人はオタクや性犯罪者」という現実逃避的な姿勢でしか見てこなかったマスコミや一般市民が、どのように消化していくのかが楽しみだ。

 意外と、あと数日で事件自体がスルーになるような気がする。

薬物乱用増加、原因は「ネット」72%…内閣府調査

 別に内閣府が「薬物乱用の原因の72%がネットです」といったのではなくて、内閣府の調査で72%の人が薬物乱用の原因がネットだと思っているという調査結果が取れたという意味ですね。だから見出しの書き方を少しは考えろと。

 で、私はネットやアングラ歴長いですけど、ネットで本物の違法薬物が取引きされている現場ってのを見たことがないんですが……。バイアグラなんかの個人輸入物は見ますけど、それはここで言う「薬物」とは違うでしょ。すると、この72%のどれだけが本当にネットでの薬物取引きを見たことがあるのかと。



 しかし、「繁華街やインターネットで密売され入手が容易になった」って味噌も糞も一緒な選択肢って……

団塊テラキモスwwww

日記を2日も空けてしまい、すみません。(ちょっと前までは平気で一週間とか空けていたのは置いといて)



 いま、ちょっと力を入れていることがあって、それがうまくいってないので、ちょうどやりかけだった「幻想水滸伝5」を進めてました。その甲斐あって、ラスダンの直前まで来ましたよ。

 ちなみにやりかけだったのは、「パーティーを3組つくれ」とかいわれて「ル……ルカ戦か!!」と思って「キャラクター鍛えなきゃなー。しかも18人も……大変だなー」と、そのまま放置していたからです。

 ええ、幻水2をやった人なら、ああいう展開をされれば当然不安になるでしょう。まぁ、実際やったら普通のボス戦でしたけどね。で、「王子!!」グサッ「ナナミーーーーーーーー!!(違)」って……。いつでも○ボタンを押せるように構えていたのは私だけではあるまい。

 幻水シリーズは、ハッキリと過去のシリーズを踏襲していて楽しいですね。DQやFFが既に「プロダクト」としてしか、シリーズをやっていないのと対称をなしていて、大変好感が持てます。



 で、次やるのは、一ヶ月後だな。きっと。またパーティーが3組に別れるから育てないといけないし……。

はてなブックマークのこのサイトに関するコメントで、気になるものを発見した。



はてなブックマーク - 深夜のシマネコBlog: 問題は「金」という言葉が有するイメージ


2006年03月27日 fromdusktildawn 団塊の世代が若者だったときよりも、現在の若者の生活の方が、はるかに豊かなんですけど。高度経済成長は、マイナス100を0にするプロセス。現代の若者は、スタートが0で、それが1とか2とかにしかならないと嘆いている

 うんうん。

 確かにその通りですよね。「今の若者は恵まれている」のに、いったいなにが不満なんだと。おじさんたちはそういうことをよく言います。「我々の世代には、ケータイもコンビニもなかった。若者は贅沢だ」と。

 しかし、同時にこうも言います。「我々の子供の頃には、豊かな人間関係があった」と。まぁ3丁目のなんとかなんて映画が流行るのもそういうことですね。今は人間関係も崩壊し、おかしなことになっている。と。



 で、結局現在は豊かなんですか? そうではないんですか?

 私の答えは「豊かさなんて時代によって違うに決まっているじゃないか」ということです。



 1971年のヒット曲にジローズ「戦争を知らない子供たち」という歌がありました。ここで歌われている「戦争を知らない子供たち」はまさしく団塊の世代を指します。

 団塊の世代は戦争が終ってから生まれた世代ですから、戦争の最中に育った世代よりも「豊か」なハズです。団塊が仮に「マイナス100」とするなら、戦中世代は「マイナス10,000」ぐらいでしょうか。戦中世代からすれば、「団塊世代戦争を知らない子供たち」は非常に「豊か」な存在だったわけです。



 しかし、その「豊か」な団塊の世代が、若者に向けて「お前たちは豊かなのだ」と言った時に、それは同時に「我々の子供のころは豊かではなかった」ということを主張しています。それは戦中世代に人に対しての侮辱ではないでしょうか?

 また、「豊かな人間関係」とやらも、彼らが子供の頃に「豊か」だったのであれば、その豊かな人間関係を壊していったのは、まさに団塊の世代なのです。

 三浦展が『ファスト風土(以下略)』の中で、「交通網の整備のせいで、地方の人間関係が崩壊した」などという主旨の事を述べていますが、しかし、交通網の整備が日本の経済体勢を大きく下支えしたのは、紛れもない事実です。また、道路を走る自動車も、それが「いつかはクラウン」という言葉どおり、団塊世代のメンタリティーを支えたのと同時に、自動車産業自体も大幅な対外黒字を達成し、外貨を呼び込み日本を経済的に豊かにする、まさに「要」の存在でした。

 そうして、地方や人間関係を切り売りした結果、現在日本の「豊かさ」が存在するわけであって、その御恵を全身いっぱいに浴びながら「交通網の整備や、人間関係の崩壊は悪なのだ」などと言うのは、あまりに自分勝手な言いようだなと私は感じます。

 私はこのことをある意味で「南北問題に近いな」と思っています。既存の先進国とやらが、散々環境を破壊しまくって経済的発展を成し遂げたにもかかわらず、後進国に対しては「環境を破壊するな」などと言い、経済発展を阻害するのは先進国の勝手な言い分でしょう。

 高度経済成長からバブル地代まで、さまざまなものを破壊し、その見返りとして得てきた「豊かさの達成」の功罪を直視することなく、既にそういう破壊をできなくなっている若者に対して、ただ「最近の若者は」と切り捨てるのは、あまりに若者をバカにした主張ではないでしょうか。



 もう一つ、豊かさってのは「マイナス100」だとか、そんな単純な尺度じゃ図れないわけで、それを「豊かさ」として主張するのは、極めて卑怯なレトリックなのです。

 また、私がそのレトリックに付き合うとすれば、「じゃあ相対的に考えれは、団塊世代は「マイナス100から0」という「100」の達成感を得たにもかかわらず、若者は「0から1、2という、わずかな達成感しか得られてないではないか」と反論します。

 そもそも、豊かさの尺度などは相対的なものでしかないのです。年収1億の人間が年収1,000万になれば、「貧しくなった」と感じるでしょうし、年収150万の人間が年収1,000万になれば、それは当然「豊かになった」と感じるハズです。

 「豊かさとは相対的である」と考えれば、決して「ケータイやコンビニがあること」が現在の若者にとっては単なる「あたりまえ」でしかなく「豊かさの尺度」などでは無いということに気付くはずです。

 だいたい、団塊の世代だって「我々は戦中の世代に比べて豊かなのだ」などとは自覚していないでしょう。それを若者に「自覚しろ」などというのは、傲慢以外の何ものでもありません。

 ところで、最近よく聞く「2007年問題」って、すごい気持ち悪いね。団塊自画自賛

嘘つき騙すな 嘘つき騙すな お前は嘘つき有罪だ

人を薬漬けにして、揚げ句の果てに殺害するのが、日本の体ってヤツですか。日本は素晴らしい国ですね。

 要は、日本国民(という総体的イメージ)が麻原を殺したがっていて、それを高裁が「空気を読んだ」のです。

 つまり我々が「国家による殺人」を要請したです。国家による殺人という巨悪の前に、麻原のなした悪など、あまりにちっぽけなものに過ぎません。

 このまま死刑を許すことは、我々自身が麻原以上の大悪人になるということです。

 私は絶対に麻原の死刑を認めません!!

 そして私は絶対に人殺しの片棒など担ぎません。

オウム繋がりで森達也「ドキュメンタリーは嘘をつく」のTV版。

 まぁ、私なんぞは見る前から「「ドキュメンタリーは嘘をつく」というからには、このドキュメンタリーも「ウソ」なのだろう」と、ウソをウソと信じきって(笑)見ていたので、正直むずがゆい部分が多かったのだが、番組の中でも語られていたとおり「TVのドキュメンタリーは、見る気のない人間にいかに見させるか」という部分がキモなのだから、こういうハッキリとしたわざとらしさもいいのかもしれない。あと、普通にアーレフが撮影に協力していたのがちょっと笑えました。

 あと、五目ラーメン食ってる森達也や、ゴルフの練習をしている森達也(イメージに合わなすぎ)という、見るだけで笑えるおもしろシーンにも要注目。



 まぁ、でも一般人もこれに引っかかるほどバカなのか? と思うけれども、それに引っかからなければそれはそれで喜ばしいことで、引っかかったにしても、それでメディアリテラシーということに気がつけばそれでいいのか。

堀江は少なくともネオコンよりは正しかった



武田さんの文章で知ったのだが、「世の中、カネで買えないものなんてない」という、マスコミがこぞって堀江をカネの亡者である象徴として扱った、あの有名な台詞には、本当はこんな意味があった。

日経BPネットビジネスTODAYより


プロ野球新規参入問題の渦中で、巨人軍前オーナーの渡辺恒雄は言った。「オレも知らないような人が入るわけにはいかんだろう。カネさえあればいいってもんじゃない」。



旧勢力に君臨する男のコメントだ。しかし、堀江はこう反撃した。「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけない」。身も蓋もない発言だ。彼は「唯金論者」なのか。それとも守銭奴



彼の言わんとするところはこうだ。



「カネで買えないものは、差別につながる。血筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準ではないか」

 私は、「このころの堀江」という人物をずいぶんみくびっていたようだ。

 これが本心なのか、インタビューに対応したパフォーマンスなのかは知らないが、どちらにしてもカネというものが持つ「リアル」を的確を指し示している。私が当時にこの発言を知っていれば、多少は堀江の事を応援する気にもなったのかもしれない。

 そして、この真意を知ってなお、堀江を「拝金主義」とバッシングするなら、それはまさしく「差別主義者」の発言となる。



 私はちょっと前に「カネは権力のオルタナティブだ」と書いた。

 ただし、決してカネと権力は正反対の存在ではない。むしろ権力に寄り添おう々とするのがカネの常である。だからこそ、カネを権力のオルタナティブとして十分に調整して流通させなければならない。と考えるのが私の立場だ。



 佐藤俊樹「不平等社会日本」のなかで、既に団塊の前の世代で、職業の開放性、すなわち、ホワイトカラーの上級職と、その他の交換可能性は既に消失していたを証明している。

 それでも、高度経済成長とバブルの時代には、少なくとも「給料」はアップしつづけていた。

 そうした「右肩上がりの給料」の存在は、「齢を重ねる=給料が上がる=努力」という都合のいい前提を満足させていた。

 しかし、経済成長が止まった現在、並大抵の努力では給料が上がらなくなった。上記の前提の元に動いていた社会は、その前提を保持し続けたために「齢を重ねる(しかし)給料が上がらない(なぜなら)努力をしていないからだ」という捻じれた社会認識を生み出した。これが昨今の若者差別の大前提である。



 そして、それは堀江も同じだった。唯一彼が他と違ったのは、自分を「給料の上がらない無努力なもの」と自虐するのではなく、給料を上げるための努力をし続けたことだ。そして、件の問題もその延長上にある。

 「努力」という言葉は、事の正悪を問わないハズだ。「給料を上げる」事が最終目標なら、そのための手段を問おうが問わなかろうが、それは「努力」である。少なくとも私は彼の努力を認めてあげたい。



 しかし、それはいかにも時代遅れの「努力」なのだ。

 与党のネオコン政治家や、経団連のクズどもがしているのと同じ、時代遅れの努力なのだ。

 「右肩上がりの経済」という最重要前提が崩壊した以上、「給料が上がる=努力をしたと認められること」という努力観は時代遅れなのだ。



 我々はこれからの低成長時代に合致した「努力を認めること」。すなわち、「人を人として認めることの新しい基準」を考えなければならない。

 堀江の件で考えるべき問題は、それなのであって、決して堀江を卑下して現行権力の最大肯定することなどではない。



 ついでにいうと、私の「カネをオルタナティブとして考える」というのも、いささか時代遅れの考え方かもしれないということは自覚している。

 ただし、現状との擦り合わせを考えれば、どうしてもここを避けて通ることはできないし、そのことについて自覚的でなければならないと考えている。


時をかける三浦展


三浦展の『ファスト風土化する日本』を読んでいるのだが、あまりの面白さに頭痛がしてくる。

 詳しくは後に「知性下流社会」で触れるつもりですが、あまりに面白過ぎる部分を1つ紹介します。


 2002年7月には、群馬県前橋市の家に散弾銃を持った男が押し入り、19歳の娘を連れ去るという事件があった。

(略)

 その男は栃木県足尾市で車を捨て、鹿沼市付近で警察官夫婦を拉致、夫の運転する車で日光宇都宮道路東北自動車道を逃げ、結局、佐野藤岡インターチェンジで降りたところを逮捕された。まさに交通網の整備を前提としなければありえない事件である。(p.60)

 ここまで読む分には、なんの問題もありません。

 そして、普通にこれだけ読めば、この後に続く文章は「高速道路を中心とした交通網の整備が、犯罪の範囲を大幅に拡大した」という主旨のものであろう事に、想像が及ぶと思う。

 しかし、三浦展はそうとは考えない。

 この次の引用は、先の引用から一行も開けずに書かれた、続きの文章です。


 ちなみに、容疑者が逮捕された佐野藤岡インターチェンジのほど近く、高萩・越名地区には佐野新都市(愛称「サザンクロス佐野」)という大規模開発が進んでおり、近年、静岡県の御殿場にできて人気を呼んだものと同じアウトレットモール「プレミアム・アウトレット」ができている。

(略)

 近くには別に大規模ショッピングセンターもあり、今後さらにシネマコンプレックスをはじめとして、多くの商業・文化施設、企業、住宅の立地が予定されている。佐野市でも最も変化の激しい地域といえる。

 ちなみに三浦展が最後に述べている「ショッピングセンター」とは、イオン佐野新都市ショッピングセンターのことである。

 そして、こうした論拠をもとに、三浦展は「犯罪現場の近くにはなぜかジャスコがある」と論じていく。言ってることは周りくどくていいかげんであるが、要は「大店法」の規制緩和が我々の古くからのコミュニティーを破壊していると言いたいらしい。

 しかし、だからといって、「高速道路の急速な整備」と「大店法改正」という2つの論点を「ジャスコ」で繋ぐというのはいかがなものか。ジャスコイオングループなどを中心とした「郊外開発」の論理は行政側が押し進めるものである以上、最終的には行政政策を批判するべきであって、ショップ自体や、そこに住んでいる人々(主に若者)を批判するのは、問題の歪曲化に他ならない。



 ……いやいや、ここでは論点ではなくて、いかにバカバカしいかを、おもしろおかしく紹介するつもりだったんだから、それを続けます。



 上の引用で、なにがおかしいって、私は佐野に住んでますから当然ピンと来たのですが、そのときにはなかったんですよ。

 ええ、事件のあった2002年7月の時点で、佐野プレミアムアウトレットなんてものは、まったく存在してなかったんですよ。

 佐野プレミアムアウトレットを展開しているチェルシージャパンの会社紹介を見てもらえれば分かるとおり、開業が2003年の3月なんですね。

 ちなみにイオンのショッピングセンターはアウトレットよりさらに遅く、同年4月の下旬です。



 もちろん、2002年の7月当時に計画は当然ありましたし、区画整備の工事は行なわれていました。

 しかし、佐野新都市が明確に「新都市」としての姿を近隣住民に対して明確に示したのは、アウトレットとイオンの開業の時からです。この2つの商業施設を手始めに、郊外型新都市としての機能が整備されつつあるのであって、2002年7月の時点では、佐野市民にとって、ここはただ「町の外れ、佐野藤岡インターのあるところ」に過ぎなかったのです。

 結局、この事件の犯人は「アウトレットのある地域」に逃げ込んだのではなく、ただ「高速道路を使って逃げた」に過ぎないのです。第一、この犯人が「捕まった先」が佐野藤岡インターの近くだっただけのことで、事件そのものは佐野とは全く関係がありません。

 にもかかわらず、三浦展は時空を越えて「アウトレットやイオンとの関連性」を妄想しています。これは言いがかりもいいところです。

 逆に、イオンの存在が誘蛾灯のように犯人を引きつけるのであれば、警察も犯罪の広域化に苦労などしないはずです。



 そして、なにより滑稽なのは、この本が「交通網の整備」を問題にしながら、意地でも自動車産業のありようを問題にしないことです。三浦展世代にとって、トヨタや日産といった企業は「日本経済の大躍進をうちたてた神、いわゆるゴッド」のような存在ですから、絶対に批判できないのでしょう。

 「御上には絶対に逆らうな」という三浦展の卑小な心が、ジャスコや家電量販店といった御上から少し遠い企業や、権力を持たない若者に対する批判に走らせているのだと、私は考えます。


科学的って?


雑記帳 「デートに使える科学ネタ」文科省が無料誌作成

 今、国が必死になって「科学リテラシーを身につけさせよう」とやっているのだけれど、それは「科学だから正しい」という宗教を広めようということなのだろうか?

 東京ウォーカーで東京のおしゃれスポットを知るがごとき、あまりにストレートな科学理解は、科学への盲従を示すことにしかならないと思うのだけれど……


フォーチュンオーブ3


一ヶ月連日更新できませんでした。

 また連日更新できるように頑張ります。

昨日は一日中メダルゲームやってた。



 ホームに「フォーチュンオーブ 第3章」(以下 FO)が入っていたので、さっそくプレイ。

 SJPは取れなかったものの、777ポケットも当選したし、それなりに特徴は掴めました。

 まず、全体的にオーブの獲得個数が多くなっています。

 今まではスロット当選とJP獲得でしかオーブを獲得できなかったのが、今回はスロット抽選に左右されないダイレクトモードが存在するために、体感的には始終オーブ抽選を行なっているような印象があります。

 もっとも、獲得枚数はサテライトのオーブ抽選では、「50 or 25 or ダイレクト」と、全体的に押さえられていますので、獲得枚数は思ったほどでもありません。ただ、やはりダイレクトモードが続けばメダルは減りにくいですし、SJPチャンスの可能性も高い。そして、なんといってもオーブ抽選はFOの特徴的なフューチャーですので、これが存分に楽しめるようになったのはいい変化だと思います。



 ただ、「オーブ抽選が多い=SJP獲得の可能性も高い=プログレ増分よりも初期設定の枚数消費が大きい=P/O率大幅にアップ」ということになるので、営業方針として設定を厳しくしている店舗だと、メイン抽選のP/Oを大幅に下げることが予想でき、ちょっと悲惨な状態になるのではないでしょうか。

 また、プレイヤーとしても、1000枚程度のSJPよりも、天井の5000枚付近のSJPの方がいいのですから、今までのような「ハイリスクハイリターン」的なイメージをもっていると、肩すかしをくらう可能性があります。

 また、777ポケットについても、オーブ抽選でのSJPポケットのin率がしょせんは1/6(形状の違いを考えれば実際は1/7程度か?)程度なのですから、想像しているよりあっさりSJPチャレンジに移行してしまいます。私の場合は、2球目でSJPに入ってしまい、最終的に4球しか出てきませんでした。

 こうしたことからも、個人的には、オーブ抽選のポケット数を増やして、SJPチャンスの当選を1/10ぐらいに引き上げて、SJP枚数や777ポケット払い出しの格上げを試みた方が良かったのではないかと思います。

 今までのFOにおいて、主なSJP獲得経路は「オーブを落す → オーブ抽選 → SJP抽選」でした。

 ならば、ダイレクトモードや777ポケットを有する今回の場合は「オーブを落す → ダイレクトモード成立 → オーブ抽選 → SJP抽選」を主なSJP獲得経路にしたほうが、よりゲーム的面白さを発揮できたのではないかと思います。

 もっとも、それをするにはサテライトごとのクルーンを今までよりも大きくするか、オーブを小さくしなければならず、今までの筐体をバージョンアップするという考え方には合わないのかもしれません。

 あ、そういえば、確変時に確変と通常のクロスリーチで通常側が当選。再抽選で確変になったのだが、ついでに数字も揃って、払い出し2倍当選になった。たしか前作までは、再抽選になって昇格したとしても、数字が揃うことは絶対になかったと記憶しているのだが。



 そのあと、FF2をプレイ。FFシリーズ通して初めてのJP獲得。1,000枚強で500枚ぐらい戻ってきた。

 シングルマシンの1000枚は、まだダブルダウンの途中という感じだけど、プッシャーで1000枚当たると、なんかすごく当たった感じがします。



 その後、30分ぐらい微妙に時間が残っていたので、「スウィング イン ザ ナイト」を20ベットでプレイ。

 フリースピンは2回きたけど、どちらもモード継続せず。

 2回目のフリースピンで、当選枚数が700枚ぐらいだったので、気合いを入れて叩いていたら、振り切って1万強の当選。振り切ると長いファンファーレが鳴り響いて、コールアテンダントに。音がすごく大きく、すぐ店員を呼んでしまったので、写真取るのを忘れました。

 これでメダルの預けが60000枚超えた……ちなみに当日そこで使ったお金は、携帯充電器に100円。QMA3を2回プレイで200円の、計300円でした。